1950年代の一時期には、東宝に所属している俳優陣に対し、音楽の講義も行っている。この時の教え子に宝田明や岡田真澄などがおり、宝田はその後も伊福部を慕っていることを、映画の打ち上げ会や書籍などで語っている。
1956年(昭和31年)、42歳。『ヴァイオリンとピアノのための二つの性格舞曲』作曲。毎日映画コンクール音楽賞受賞。仮面舞踏劇『ファーシャン・ジャルボー』作曲。独奏曲『アイヌの叙事詩による対話体牧歌』作曲,。
1958年(昭和33年)、44歳。合唱頌詩『オホーツクの海』作曲(1988年に独唱用に編曲)。
1960年(昭和35年)、46歳。独唱曲『シレトコ半島漁夫の歌』作曲。バレエ音楽『日本の太鼓「狐剱舞」』作曲。
1961年(昭和36年)、47歳。合唱曲『北海道賛歌』作曲。ピアノ協奏曲『ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ』作曲。
1965年(昭和40年)、51歳。母、キワ死去。
1967年(昭和42年)、53歳。ギター独奏曲『古代日本旋法による蹈歌』作曲(1990年に二十絃箏用に編曲)
1968年(昭和43年)、54歳。『管絃楽法』(音楽之友社)上巻増補改訂版と下巻刊行。
1969年(昭和44年)、55歳。ギター独奏曲『箜篌歌』作曲(1989年にハープ独奏曲、1997年に二十五絃箏曲に編曲)
1970年(昭和45年)、56歳。大阪万博のパビリオン「三菱未来館・日本の自然と日本人の夢」の音楽を手がける。ギター独奏曲『ギターのためのトッカータ』作曲(1991年に二十五絃箏曲に編曲)
1972年(昭和47年)、58歳。吹奏楽曲『ブーレスク風ロンド』作曲(1983年に管弦楽曲『倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク』に編曲)。バレエ音楽『日本二十六聖人』作曲。
1973年(昭和48年)、59歳。邦楽器合奏曲『郢曲「鬢多々良」』作曲。
1974年(昭和49年)、60歳。東京音楽大学作曲科教授就任。
1976年(昭和51年)、62歳。同大学長就任。マリンバ協奏曲『オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ』作曲。
1979年(昭和54年)、65歳。『ヴァイオリン協奏曲第二番』作曲。二十絃箏曲『物伝舞』作曲。
1980年(昭和55年)、66歳。リュート独奏曲『バロック・リュートのためのファンタジア』作曲(1993年に二十五絃箏曲『幻哥」へ編曲)。紫綬褒章受章。
1982年(昭和57年)、68歳。二十絃箏協奏曲『二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ』作曲。
1983年(昭和58年)、69歳。管弦楽曲『SF交響ファンタジー第一番、第二番、第三番』作曲。ゴジラ30周年記念「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」開催。
1985年(昭和60年)、71歳。『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』作曲。東京音楽大学民俗音楽研究所所長就任。
1987年(昭和62年)、73歳。勲三等瑞宝章受賞。
1989年(平成元年)、75歳。バレエ音楽『人間釈迦』を『交響頌偈「釈迦」』に編曲。
1990年(平成2年)、76歳。管絃司判『鞆の音』作曲。
1992年(平成4年)、78歳。独唱曲『摩周湖』作曲。
1993年(平成5年)、79歳。交響的音画『釧路湿原』作曲。
1994年(平成6年)、80歳。独唱曲『因幡万葉の歌五首』作曲。
1996年(平成8年)、82歳。日本文化デザイン賞大賞受賞。
1997年(平成9年)、83歳。二十五絃箏曲『胡哦』作曲。
1999年(平成11年)、85歳。二十五絃箏曲『琵琶行』作曲。
2000年(平成12年)、86歳。独唱曲『蒼鷺』作曲。独唱曲『聖なる泉』作曲。妻・アイ死去。
2003年(平成15年)、89歳。チェンバロ独奏曲『小ロマンス』作曲。文化功労者顕彰。
2006年(平成18年)、2月8日死去。享年91。
2008年(平成20年)、『完本管絃楽法』(音楽之友社)刊行。
晩年
晩年は旧作の改版も多く手がけ、デビュー作の『ピアノ組曲』に77歳になってオーケストレーションを施した『日本組曲』をはじめ、年を重ねてからも大作を書く筆は衰えなかった。この時期の改作としては、野坂惠子が開発した二十絃箏や二十五絃箏など箏の改良楽器およびその合奏のための作品が多い。1997年(平成9年)にそれまで戦時中失われたとされていた『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』の楽譜がNHKの資料倉庫から発見されるなど、晩年になってから多数の初期作品が蘇演される幸運にも恵まれた。
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